施餓鬼会はお釈迦さまの弟子の一人、阿難尊者(あなんそんじゃ)のエピソードがもとになっています。阿難尊者が坐禅をしていると、突然目の前に餓鬼が現れました。手足は針金のように細く、髪が逆立ち口から炎を吐く恐ろしい姿をした餓鬼は「三日たてばお前は死ぬ。そして私のような醜い餓鬼となるだろう」と阿難尊者に告げました。
阿難尊者は驚き、お釈迦さまに相談しました。お釈迦さまは、「まず餓鬼のために供物を用意して供養しなさい。供養で唱える経や陀羅尼の力で餓鬼に与える供物は無量に増え、多くの餓鬼を救うことができます。ともに祈る僧がいるならば、そのための食事も用意し祈りを捧げてもらえば、功徳も増すでしょう。そして、施主となる者の寿命も延び、仏の道を悟ることができるでしょう。」答えられました。こうして、阿難尊者が餓鬼を供養したのが、施餓鬼会の始まりだとされています。
このエピソードは、「救抜焔口餓鬼陀羅尼経(くばつえんくがきだらにきょう)」という経典に説かれています。お釈迦様の十大弟子として身近に仕え、お釈迦様の説法を最も近くで聞いたことから「多聞(たもん)第一」と称される阿難尊者が、なぜ餓鬼に脅かされるのか不思議でした。ただ、この餓鬼は、修行を積み重ねた阿難尊者の、心の奥深くに存在していた物欲があらわれたものと解釈できます。そして、施餓鬼供養の功徳により、阿難尊者は仏法の悟りに近づいたともいえます。
また、満腹でもお菓子を見ると食べたがるように、子どもは欲望をコントロールできないことがあるところから、子どものことを餓鬼というようにもなりました。しかし、物欲がコントロールできないのは子どもに限ったことではありません。今年の即清寺の施餓鬼会は、寺役員と新盆のご家庭の方のみ、ご参加いただきました。しかし、コロナ禍から、人が集まることのできる日常に戻った時には、物欲の煩悩について反省する時間として、また、苦しむ餓鬼に祈りをささげて功徳を積む機会として、来年の施餓鬼会が大勢の方に参加していただき開催できることを願っています。